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今夜の番組チェック

「踊ることってこんなにも楽しくて元気になれるんだ!」
これは大学に入学し、自分がよさこいを踊ってきて感じたこと。
その想いをもっとたくさんの人に知ってほしい。そして長崎の街を踊りによってもっともっと元気にしたい!そう思ったメンバー12人が、長崎で踊りの大舞踏祭を開こうと動きだした。
小さな子どもから、お年寄りまで、誰もが踊れて楽しめる、そんな祭りを創ろう!
その想いを胸に、2005年9月、実行委員会を発足したのだ。

第1回開催は2006年3月4日(土)と決めたため、開催まで後半年、という時期の発足だった。熱い想いはあったものの、祭りを創るために何をすればよいやら、全くわからなかった。
手探り状態で準備を進める日々。企画書の書き方、運営資金の集め方、会場図の作り方など、出向いた企業の人たちに逆に教えられながら1つずつ形になっていった。
祭りを創ることがこんなにも大変で、たくさんの人たちの理解と協力なしには到底できない物なのだということを初めて知った。

年が明けてからは、連日連夜学校に残ったり、メンバーの家に集まったりして企画や当日の動きを詰める。
12人では人手が足りず、新たにスタッフを募ったところ、約40名が集まった。
こんなにも熱い想いを持った仲間がいてくれたことが、本当に心強く、そして何より嬉しかった。

しかし、祭りが近づくにつれ、やることが後から後から出てきた。うまく進まない会議、作業、連絡に、みんなピリピリし始めていた。
メンバーの疲れもピークに達し、意見がぶつかったり、仲違いが生じたことも何度もあった。
これで本当に祭りが創れるのだろうかと、不安な毎日を過ごしていた。

いよいよ祭りを明日に控えた3月3日(金)
誰もが心配していた天気は全く問題ないように見えた。会場である長崎市水辺の 森公園に、テント、机、椅子、その他祭りで使う道具をすべて運び込んだ。リースした1トントラック二台を走らせ、水辺と長崎大学を往復すること数回。
作業終了後、荷物を警備するため前日は水辺の森公園に泊まり込んだ。
シフトを組んで夜の見回り。夜の水辺はとてつもなく冷えた。寒くないように寝袋や毛布を被ってテントに泊まる。
明日の各自の動きを確認し合い、明日は頑張ろう!そう気合い入れをした後は、みんなわくわくドキドキでとても寝ていられず(寒さのせいもあったが…)遅くまで語り明かした。
今までがむしゃらに準備をしてきた日々、途方もなかった夢が、明日ついに現実のものとなるのだ。

3月4日(土)第1回わっかもん!ASIA舞踏祭は、快晴の下、参加者の元気な踊り、お客さんの楽しそうな笑顔があふれた、温かい祭りになった。
「楽しかったよ!ありがとうね!!」
「また来年も続けてね!絶対参加するけん!」
「よぉ頑張ったね!お疲れさま!」
という温かい言葉をたくさんの方から頂き、『祭りを創ってよかった!!』と心から思った。来年もまた、今年以上にいい祭りにしよう!!そう決意し、祭りを終えたのである。

第1回わっかもん!ASIA舞踏祭は、このようにして創られました。
若者の夢を一 緒になって追いかけてくださったたくさんの方々、本当にありがとうございました。みなさんのお力添えがなければ、絶対になかった祭りです。

そして、この祭りを創るにあたり、私たちの背中をドン!と押してくださった猪山勝利先生、ありがとうございました。先生の熱い想いと、若者にも勝るパワーに、私たちは何度も励まされました。先生のおかげで、私たちはこの祭りを創ることができたのです。
来年も、再来年も、ずっとずっと若者がその力を注いで続けていきたい!将来的には、長崎の新しい文化として根付かせたい!その夢を胸に、来年もまたこの祭りを開催していくつもりです。